一方その頃、白羊宮では聖衣修復に勤しむムウと貴鬼の傍らで、ヒース、イリーナ、バスが車座になって昨日の敵について話をしていた。
エキューは、
鷲座の魔鈴がやっている聖闘士候補のトレーニングに参加しており、ここにはいない。
とにかく自分たちが出会った”ヴァンパイヤ(吸血鬼)”ではない、という点を強調しながら、つっかえつっかえイリーナが説明を終えると、ヒースは額に脂汗をかきながら唸り始めた。
「まさか…いや、しかし…どう考えても、おじいちゃんがご降臨あそばしたような…」
「おじいちゃんではなかったと思います、ヒース兄さん」
「黙れ、呼吸する多国籍軍。そういうことを言ってる訳ではなくてだな…
ちょっと待て。そのグレートソードは、とりあえず下ろしてくれなさい」
「昨夜、一太刀も浴びせることが出来なくてフラストレーション溜まってるんですが、ヒース兄さんが協力してくれるなら、あっという間に解消できる気がします」「まあまあ、イリーナ。落ち着きなさい…で、ヒース。あなたの様子から察すると、恐らく敵の目星はついているのでしょう?話してくれませんか?」
バスがさり気なく高い筋力を駆使して、どうにかイリーナの大剣が振り落とされるのを抑えると、糸目の奥を光らせて言った。
「う〜む…こいつは、氷の魔女から聞いた話なんだがな」
と言って、ヒースは話し始めた。
オーファンの賢者の学院の有名人はと言えば、まず名前が挙がるのは最高導師たる”偉大なるカーウェス”師。そして、現在、宮廷魔術師にして”氷の魔女”の二つ名を預かるラヴェルナ・ルーシェンであろう。
カーウェスの業績は”竜殺し”に代表されるリジャール陛下との竜退治に詳しいが、ラヴェルナは二十歳前後でそのリジャールから「アレクラスト大陸の見聞の旅に出よ」という王命を賜り、”アレクラストの博物学”という書物を著したことが知られている。
たまに政情不安な国で投獄されることもあったが、大陸中を歩き回った彼女の博物学はファンが多く、印刷技術の発達していないイリーナたちの世界では写本が出回っており…ミスリルと言う特殊な魔法金属の逸話や、様々なモンスターの分類等、彼女のずば抜けた知力の高さが遺憾なく発揮されていると評価は高い。
余談だが、その見聞の旅で護衛役を務めたローンダミスは現在ラヴェルナの夫であり、近衛騎士団長でもある。
さて、まだまだ実力的にはラヴェルナには劣るものの、オーファンを揺るがせた吸血鬼大量発生事件にて面識を得たヒースは、たまに彼女自身から声をかけられることもある。
その際、ラヴェルナが行なっていたのはギルドによる吸血鬼発生事件のレポートの編纂であるが、”ヴァンパイヤ(吸血鬼)”よりも高位のアンデッドがいる、という話を聞かせてもらったのだ。
それは”ノーライフキング(不死王)”と呼ばれる存在で、元々古代王国期に死の門と呼ばれる研究機関が行なっていた延命措置の成果の一つ…らしい。
らしいと言うのは、”ノーライフキング(不死王)”になる古代語魔法は今の賢者の学院に伝わっておらず、アレクラストにはそれ以上研究を進められる個体が見つかっていないのだ。さすがのラヴェルナも、データとして知っているのは一人だけである。
とにかく恐ろしく強くて、”レッサードラゴン(成竜)”を撲殺可能な実力を秘めている…。
面倒くさかったのかなんなのか、とりあえず法螺も交えずに話したヒースへ、イリーナもバスも茶々を入れず最後まで聞き入った。
「つ、つまり。ミシェイルよりも…」
「強い。格上。つーか、昨夜よく見逃してもらえたな、よくそのまま人質にとられなかったな、くらい強い」「…倒せば今度こそ大英雄な訳ですが…」
「できると思うのか!?今の俺様たちの実力じゃ、”レッサードラゴン(成竜)”だって死んじまうわ!」
ヒースが言ったのは純然たる事実だっただけに、イリーナもバスも黙る他ない。全く、
妙なところばかり隠れファリス信者なソーサラーである。
「エキューが今特訓しても、敵うわけがないモンスター、ということですか」
「そんな!?邪悪だと、最も許してはいけない敵だと言うことじゃないですか!そりゃ、今は敵わないかも知れませんが、ちゃんと対策を練って、聖域の皆さんと協力すれば…!」
「よく聞け、イリーナ。奴は毒も病気も無効だから、遺失魔法の”デス・クラウド(致死の雲)”を自分巻き込みで一発打てば、それだけで俺様たちは全滅する。それでも特攻するか?今度ばかりは蘇生を見込めないと分かっていて、強制できるのか?」
ヒースの厳しい意見に、イリーナはぷっくりした珊瑚色の唇を、悔しさのあまり八重歯で噛み締めた。
国からの依頼だったからこそ、以前は蘇生も見込めた。
でも、次元の違うこの世界では、死んだ後の魂がどこに行くかも分からない。神(アテナ)は存在するが、自分たちを生き返らせることができるかは分からない、と言っていた。だからといって試すわけにもいかない。
「でも…でも…!」
逡巡してしまった自分自身が、余程に悔しかったのだろう。八重歯は唇を噛み破り、血が滲んでいる。
バスが黙ってそっとハンカチで拭おうとした時、イリーナは振り切って白羊宮を出て行ってしまった。
「…ヒース。気持ちは分かりますが、やり過ぎではありませんかな?」
「俺様はただ事実を言っただけだ。法螺も混ぜとらんのに、そんなに文句を言われる筋合いはないぞ」
「言えばいい、というものでもないのですよ。…まあ、まだあなたには早いかもしれませんが」
バスはため息をついた。
「『もうお前を死なせたくない』くらいは言えばいいのに」
白羊宮を出たイリーナは、とにかく闇雲に走った。
十二宮の階段を駆け上がるわけには行かない――アルデバランか、サガかカノンか、デスマスクに見つかって理由を問い質されるだろう――ので、エキューが向かった闘技場とは反対側へと駆けて行った。
やがて整えられているとは思えない森の中、突然イリーナは人にぶつかった。
「痛…!」
「おっと、すまない。帰ってきたばかりで、周りをよく見ていなかった。大丈夫か?」
イリーナは差し伸べられた腕をとった後に、誰とぶつかったのかを認識しようとした。
「アテナの仰っておられた客人とは、君達のことか?」
蜂蜜色の長い髪が、綺麗な光を放ちながら背に垂れている。青年の声は甘くハスキーで、イリーナが聞いたことのあるどんな声よりも魅力的だった。
「あ、は、はい!イリーナ・フォウリーと申します」
「俺はミロ。蠍座のミロだ…ああ、動くな…悪いな、怪我をさせたようだ」
死よりも辛い猛毒を生み出すはずのミロの指は、優しく動いてイリーナの口を拭った。
そこで初めて自分が唇を噛み破っていた事に気づいたイリーナが、慌てて首を振る。
「これは違うんです。ぶつかるよりも前に、自分でやってしまって…」
「そうか?だが痛むだろう?俺は癒しは下手だが…ほら、治った」
イリーナの傷を小宇宙で癒し、ミロは小首を傾げた。
「しかし、何でこんなところに来たんだ?」