とりあえずどうにか生きていたヒースを放置して、エキューがさらにアテナへ話を持ちかけた。
「…で、カノンさんの話では、あの次元の裂け目みたいなのって、聖域側で塞ぐ事はできないんですよね?」
「ええ、今のところは…」
「では、共同戦線を張りたいんだけど、どうだろう?あの裂け目にいた敵は、明らかに僕らの世界の敵なんだ。だから、僕らを囮にして敵を引きずり出すことで、次元を元に戻す方法が見つかるかもしれない。僕らにとっても、帰る方法を見つけることができるかも知れないし、聖域側でも悪魔とかほっておけないよね?」
「そのお話については、小宇宙による通信で途中まで聞いております。皆さんは、何でもとある国のスパイ組織と戦ってこられたとか」
「最初は、小さな仕事だったんだけどね」
碧眼を懐かしそうに細めて、マウナが言った。
「本当にそんな大物が控えてるなんて思わなかったのよ。ただ、珍しいモンスターを対象にした密猟団相手に戦う羽目になって…そうしていくつかの仕事をこなしていく内に、いつの間にかあたしたち、目の敵にされてたらしいの」
「自分たちが国家レベルで重要人物に指定されるとか、予想だにしませんでしたからね」
エキューがマウナの述懐に相槌を打つ。
アテナが――いや、沙織が玉座から身を乗り出して質問した。
「その敵がいる国って、どんな国なんですか?皆さんがいらっしゃった国のお話も聞きたいのですけれど、教えていただけます?」
得意そうに胸を逸らしつつ、もみ手しながらヒースが言った。随分と極端なポーズである。
ヒース兄さん自身の魔法の師匠であるハーフェン導師にも、こんな態度とってたっけ、とイリーナは思い出した。
あまり思い出したくない記憶ではあった。
「俺様たちがいたのは、竜を退治した英雄が、
王妃をゲッチューして王座を射止めたんだ。元の王国はファンという国で、邪教信仰もOKな、ある意味太っ腹な国だったんだが…竜の信仰者を排斥したばっかりに、本当に竜に進化したクリシュって男が、仕返しに王国を滅ぼしたんだ」
ヒースの得意げながら卑屈な説明を、バスが静かに手で制す。
「…若者の名はリジャール、強き力と意志を持つ者、類稀なる英雄なり。戦の神に己を捧げる女神官ジェニ、古代の知識の宝庫たるカーウェスを引き連れて、邪悪なる竜クリシュに挑む。その手に持ちし剣の輝き、荒野と化したファンの隅々まで行き渡らん…」バスの深く冴えた声が、数ある英雄歌の中で最も知られた”竜殺し”の一節を歌いだした。
リュートの伴奏はないが、その歌声は謁見の間に静かに満ちていった。
沙織は、突然の吟遊詩人のパフォーマンスにそっと目を閉じて、心行くまでその音楽に身を委ねた。
「…リジャール陛下が統治を行なおうとした際、ファン王国は二つに分かれました。一つはワタクシたちの住む、剣の国オーファン。もう一つは、ワタクシたちを付け狙う者たちがいる、混沌の王国ファンドリア。兄弟国でありながら、決して盟約を結ぶことはない二つの国です」
バスは厳かとも言える態度で、沙織へ説明を終えた。
黒い影は、強すぎるギリシャの太陽だからこそ生まれたのかもしれない。
「…気づかれてはいないだろうな?」
細く澄みきった声は、どことも知れぬあの空間で影に従っていた少女のものだった。
それに応えたのは落ち着き払った男性の声。
「いいえ。誰も疑うものはおりません」
「だが、油断はならぬ。今度こそあの者達を破滅させるのだ」
「は。我らが主のために」
「行け。決して気取られぬな。少しでも妙なことが起こったなら、知らせをすぐ寄越すように」
「はい、アレを使いまする」
男性の前から、少女は消えた。空間を転移したのか、目に見えぬほどの動きでいずれかに去ったのか…。
「もうすぐ嵐を起こす」
口元に悪意を込めた笑みが滲んだ。
「全て壊れてしまうがいい。聖域も、剣の王国の英雄たちも」